学校は、誰のものか?
改革で知られた東京・麴町中学校が方針転換 「規制強化」の声も
https://www.asahi.com/articles/ASS6910FLS69ULLI002M.html
(朝日新聞 6月11日)
学級担任制廃止などの取り組みが全国的に注目された
東京都千代田区立麴町(こうじまち)中学校が、指導方針を転換した。
従来の方針による「弊害が生じていた」とし、昨年度から見直しを検討していた。
学校生活の詳しいルールも設けた。
以前の自由な校風に魅力を感じていた保護者からは、疑問の声も上がっている。
〇同校の資料などによると、服装は、今年度の新入生から、
従来の標準服や市販の無地ポロシャツ(白か紺)などを指す「公式ウェア」を着るルールとなった。
従来は、場面等に適した服装を生徒が選んでいた。
また、単元ごとの短時間の方式だった学力テストは、
2週間ほどの「テスト期間」を設ける、50分間の方式が導入された。
〇教員全員が生徒の相談に乗り、担任を置かない「全員担任制」は「チーム担任制」とした。
また5月に「充実した学校生活を送るために」と題し、21項目のルールを記した文書を示した。
登下校時の買い食い、寄り道はしない▽他のクラスに原則入らない▽学年指定のトイレを使用……などの内容だった。
〇同校は2014年に工藤勇一校長(20年3月で退任)が着任後、
「自主性を伸ばす」などとして宿題や定期試験、固定した学級担任制などを廃止した。
その後、昨年着任した現校長のもと、それらの取り組みの変更を検討。
ただ、戸惑う保護者も少なくなく、PTA有志らが保護者や卒業生らにアンケートを実施し、
「服装ルールの変更は『必要ない』が52%」などの結果を昨秋に公表していた。
〇学校側は取材に対し、方針変更について
「ミッションは学習指導要領に沿った『麴町中の立て直し』。
全員担任制や定期試験の廃止などの弊害が出ていたので改善策を講じた」と説明した。
区教育委員会の担当者は取材に対し、
「学校運営協議会や保護者会や PTA 主催の麴中カフェなどで話し合いの場を設けている」と回答した。
〇一方、PTAの一人は「自由な校風にひかれて(区外から)越境入学した生徒も多い。
生徒の自律を尊重せず、次々と規制強化する学校の姿勢には疑問を感じた」と話す。
(編集委員・森下香枝)
私のコメント
◇今回の記事、方針変更は、状況が変われば当然のことだが、
この記事のいたるところに、保護者の戸惑い、疑問を挙げ、
変更することが保護者から見て悪のような印象を与えているように読める。
しかし、重要なのは、保護者の戸惑いや疑問ではなく、
弊害が出てきたかどうかの認識と、その認識が正しいかどうかだ。
認識が正しければ方針変更も有り得るわけで、そこを記事にしてほしかった。
◇私がこの記事を取り上げたのは、この方針変更の内容のことではなく、
昨今の学校についての世間の認識が、間違っているのではないかと思うからだ。
昨今の風潮では、学校は、個人のためのもののように議論しているが、本当はそうではない。
学校は、それが制度に組み込まれている機関ということでは、
個人のためのものではなく、社会の再生産装置なのだ。
つまり、学校は、国家のためのものなのだ。国家の社会秩序維持のために、
子どもを大人にしていくことをミッションとして存在しているのだ。
ここを間違えると、とんでもない議論になってしまう。
そして、その議論の行き着く先は、個人に責任転嫁していくことになる。
社会が乱れ、国家自体が衰退することになって、
個人が生き生きとしない状況になってしまうのだ。分断社会がその帰結だ。
◇子どもを自由にすればよいものではない。
依存的存在の子どもを自律的存在にしていくために、不自由を与え、
行動を管理し、徐々に自由度を上げ、自律的な行動を促していくところに、学年の上がる意味がある。
そのことを無視した学校は、大きなつけを子どもに押し付けることになる可能性が大きい。
この記事は、そのことを示しているのかもしれない。