非常識な行為が熱心さだと勘違いする時!

「まさか教師が暴力とは」被害児童2人の父親、学校に不信感あらわ(毎日新聞 12月18日)
 
兵庫県姫路市立小学校の特別支援学級で男性教諭(41)から暴言や体罰を受け、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したとして、男子児童2人と保護者が18日、姫路市に計2000万円の損害賠償を求める訴訟を神戸地裁姫路支部に起こした。
児童側は「生きる価値なし」などの暴言が繰り返されたことで「安全なはずの学校で日常的に虐待され、著しい精神的苦痛を受けた」と訴える。
 
「まさか教師が暴力を振るっているとは」。
男子児童2人の父親は提訴後にそろって記者会見し、学校側への不信感をあらわにした。児童が「学校が怖い」と登校を拒むこともあり、日常生活に今も影を落としているという。2人は現在6年生で、被害当時と同じ小学校に通っている。睡眠障害などの症状がある児童はPTSDの治療のため、通院や投薬が欠かせない。
父親は「治療が何年かかるか分からず、子供も家族も苦しんでいる」と語る。
 
県教委は、教諭による暴言や体罰は2018〜21年にわたり続いたと認定している。この父親は「校長らが把握した段階で対応していれば、こんな事態にならなかった」と批判。「管理職の保身や事なかれ主義の結果だ」と言葉を強めた。
 
理由もなく泣き出すことがある児童の父親は、子供を守るはずの学校で許されていた横暴な言動に「まさか」と驚いた。「学校は『熱心な教師だ』として守ろうとし、逆にこちらが責められるような態度を取られた」と振り返る。(略)

https://mainichi.jp/articles/20231218/k00/00m/040/224000c

教師の暴力事件が後を絶たない。それらの事件の記事を読むと、今回のように、「先生の熱心な指導」として、校長もその他の教員も認識的誤解をしている場合が多いように思う。

熱心に指導しているように「見える」から、熱心な先生だと周りが思っているのだが、その前提には、教師は常識を逸脱しないという先入観があるのではないか。
少なくとも、教師としての自分も含めた教師集団では、そのように思いたいのではないか。

ここが、繰り返される教師の暴力事件の温床になっているのではないか。
学校という環境では、ある教師の行動が、人として非常識な行動だと映る前に、指導をしていると誤解してしまうのだ。だから、記事に書いてあるように、「学校は『熱心な教師だ』として守ろう」としてしまうのだ。それが、事態を悪化させることになる。

だから、非常識に感じたら、意識的変換をしないで、管理職が確認することだ。そのために、教師の自律性を制限することになっても仕方がない。