英語を教科としてやる意味

こんにちは。一般社団法人日本教育コンサルタント協会の中土井です。
今回は、12月5日の朝日新聞の記事について、ちょっと考えてみます。
まずは、記事をご覧ください。

全国学力調査の中3英語に「話す」力 来年度、GIGA端末で出題へ

全国学力調査の中3英語に「話す」力 来年度、GIGA端末で出題へ

文部科学省の来年度の全国学力調査で、中3が受ける教科に、4年ぶりに英語が加わることになった。5日に開かれた文科省の専門家会議で了承された。「話す」力を調べる出題もあり、国のGIGA(ギガ)スクール構想の一環で1人に1台配られている端末などを使ってオンラインで解答する。
 
調査は小6と中3が対象で、来年度は4月18日に実施される。教科は例年と同じ国語と算数・数学のほか、中3では2019年度以来となる英語がある。
英語の「話す」力をみる調査は、文科省のシステムに生徒が端末で接続し、解答を吹き込む形式を採る。
ネットワークへの負荷を軽くするため、文科省が抽出した全国約500校で当日に実施し、結果はこの分を集計して「全国値」として公表する。
 
抽出されなかった学校は、4月19日~5月26日に調査を受ける。日程は、文科省が各校から希望を聞いたうえで調整する。
例年、学力調査とあわせて実施している勉強習慣などについてのアンケートも、希望校の中から児童・生徒計約100万人に端末で回答してもらう。(桑原紀彦)

引用記事(朝日新聞デジタル 12月5日) : https://www.asahi.com/articles/ASQD55VYLQD5UTIL015.html


私のコメント

新しい学習指導要領から、小学校の教科に英語が加わり、中学校1年生は「英語学習3年目」という認識で、授業が始まった。
2020年に小学校で、2021年に中学校で完全実施された指導要領だが、この学習実態は、どのようなものなのだろうか。

今までの、もっと言えば、戦後75年、学校教育における英語という教科は、英文法を中心に教えられてきた。
何年やっても英語が喋れない!という批判を受け、そして企業経営者からは、グローバル世界の中で英語は喋れるようにしてくれ!という要請を受け、国が大きく英会話的な英語授業に舵を切ったのが、この新しい学習指導要領からだ。

このシフトを私は、非常に批判的に見ている。英会話が出来るようになるかもしれないが、英語力はつかないのではないか。
英文法もわからない。英単語もかけない。しかし、適当には、お茶を濁す範囲で、英会話的なものは成立する、そんな状況に英語教育がなるのではないかと危惧している。

従来は、英文法を習い、英単語を覚え、英文を読めるようにする。ここが、学校教育における英語教育の主眼だった。
だから、英語が喋れないじゃないか!という批判に対して、そんなところを目指していない!と答えれば良かったのだ。喋るように教育していないのだから、このような批判は、難癖なのだ。

それよりは、日本語と英語の違いを明確に意識し、どういう文構造なのかを理解し、英語を日常的に使っている人たちとの思考の違いが判ればよいのだ。文化が各言語圏で違うのだと理解すること、そして、それを文物でわかることが学校教育における英語教育の狙いなのだ。

英語が喋れるかどうかより、日本人として、国際人として、アイデンティーを自覚することが大切なことで、そこを国語、英語、社会という3つの教科が担っていたのだ。その一つが崩れたのだ。

今の中学校1年生の英語力はどうなのか。限られた範囲しか私にはわからないが、相当ひどいようだ。
英単語が書けない。be動詞と一般動詞が、一文で一緒に出てくる。そのような珍回答が、定期テストでは多いという報告がある。
会話を出来るようにするだけなら、それは、英語圏に住めばよい。喋れるようになる。しかし、それだけではダメなのだ。教養ある日本人として、諸外国の人たちを対峙することだ。そして、多言語を理解することは、自分のアイデンティティーの理解につながることになることを、今一度思い出すことだ。

会話は以前より出来るようになりました。このような学力調査の結果になっても、それほど喜べるものではないように思う。